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つづき
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 母の百ヶ日とオランジェットのつづき

ここ数日の皿の割れ方に不安を持っていなかったといえば嘘で、ひたすら家族に何もないことだけを祈っていました。
不安は的中したと思いました。バイトから帰ってくる息子からの電話が入ったのはその日の正午過ぎ。重い荷物を持って腰を痛めたとのこと。聞くと歩けるようなので、すぐに病院に行くように伝え、私は会社へ向かいました。

その時の心の中は、皿が割れたことを怪我にこじつけ、怪我が軽くすんでよかったという思いだけでした。

そして、入院している母から携帯に電話がはいったのがその日の午後。元気そうな声だったのでほっとしましたが、内容は土・日に(家に)一時外泊できるので、私たちに帰ってきてほしい、というものでした。

今まで、自分から帰ってきてと言わない母だったので、何となく気になり、二つ返事で「分かった」と答え、すぐに飛行機を予約。 金曜日(2日)の夕方が取れました。腰を痛めている息子は連れていけないと思ったし、娘は木曜日から学校が始まるのでパス。私だけの帰省のつもりでいました。

帰宅すると息子は湿布とコルセットをして寝ていて、一週間バイトを休むことになったと話していました。
おばあちゃんのことを話すと、腰が痛いにも関わらず、息子は自分も行くと言い出しました。
(この時月曜日)

翌日、姉に私一人で行くことをメールすると、お母さんは孫たちにも会いたがっているという返事。 娘は数日後に推薦校の面接があるので、今回の鹿児島行きは断念させ、息子は連れていくことにしました。

母は、東京から私と息子、そして、福岡の大学に行っている妹の次男も帰ることを聞き、早めのお誕生日ができると喜んでいたそうです。 みんなで食べるために子どもや孫たちにはステーキを、自分はサザエが食べたいから予約しておくように姉に頼んだそうです。
姉はすぐに、人数分のステーキ用の肉を買いにいき、サザエは4日の誕生会に届けてもらえるよう予約をいれたそうです。その時が水曜日(31日)。

母の病室は特室だったのでいつでも泊まることはできるのですが、姉は今まで一度も泊まったことはなく、しかし、この日は何故か泊まることになったとか。 後で話していましたが、何故、その日泊まろうと思ったか不思議なんだと。 その日は遅くまで姉と話しこんでいたそうです。

日がかわって、1日(木曜日)になっても母は中々寝ず、気が付いたら明け方の5時半だったとか。そして、「あなたももう寝なさい」と姉に言ったのが母の最期の言葉に。

我家に電話が入ったのが1日の朝5時50分ごろ。 危篤の知らせでした。明け方鳴り響くの電話の音ほど怖いものはないですね。それからのことは断片的にしか覚えてないです。

あと一日だったのに。 結局、母に手作りのオランジェットを食べさせたいという思いはかないませんでした。

沢山の人に見送られ、初七日を終え、ふた七日の法要を終え、その足で東京へ帰りました。その間の2週間はすべてが霞んだ風景のようです。

四十九の法要にまた鹿児島へ。 12月9日は百ヶ日だね、と話して、帰ってきました。

そして、次は来年の新盆。そして一周忌。

法事の役割を考える時、その行事やお布施のシステムに、よく現世利益の最たるものと考えられたりもしますが(私もそう考えていた一人です)、しかし、今回、一つずつ終えることで、悲しみや不安が少しずつ自分の中で小さく畳まれていくのが感じられました。なんでもきっちりと片付けていく母の背中をみていたので、今私たちが迷わず行えているんだと思います。


沢山書いてしまいました。お皿が立て続けに割れたことを書きたかったのに。
人が亡くなる時、食器が割れるという話をききます。今回、あの時、そのことと母を結び付けられなかったことがとても悔まれたのです。皿が割れたのは、やはり母の旅立ちの知らせだったんだと今は思いたいです。知らせてくれたのはお父さん?・・・ 

母は家に帰って、子どもや孫たちと大好きなサザエを食べてお祝いをしてもらったら、また病院に戻るつもりでいました。私たちも、もう少し母の顔を見ていられると思っていました。

でも、闘病もすることなく、家族に見守られながら逝けたことは母にとってよかったのかなとも思えます。今頃は大好きなお父さんやみんなと一緒にいろんな話をしているだろうな。

母からは沢山のことを学び、教えてもらいました。どんな時も凛とし、仕事や家事、趣味のことも、しっかりこなしていた母でした。お洒落も大好きで、父がいつも素敵にいられたのは母のお陰だったんだと今更思ったりします。
お母さんと同じようにはできないよね、母が生きている頃、妹とよく話したことです。でも、今は少しでも近づけるように頑張りたいと思います。安心してね、お母さん。

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マカロンも母は大好きでした。初めて送った時、少しか送らなかったのに、美味しかったからお客さまにも食べさせたんだと話していました。

人は必ず天国へいきます。そこがどんなところか分かりませんが、必ずその時はやってきます。そう思うと、生まれてきたことにも意味があるわけで、その課題は人それぞれ。そのことをしっかり理解し、最期の時までしっかり生き抜き、胸を張って父や母に会いたいと思います。


お母さんやお父さんと離れて暮らしている方、会いにいってあげてくださいね。会いに行けない人は電話で声を届けてあげて。また近くに住んでいて、気のきいた言葉もかけてあげられない人は、ご両親が嬉しくなる言葉をかけてあげてくださいね。兄弟でも子どもでも同じです。 明日は会えなくなるかもしれないから。



追記  オランジェットは10月、四十九日の法要の時にお仏壇にお供えしました。


追記  私が鹿児島に帰っているときにメールをくれた友人たち、ありがとうね。また、お目にかかったことのないブログを見てくださっている方たちからもメールをいただきました。更新がないことへのお気づかいの内容でした。つながりを感じて嬉しかったです。この場をおかりして再度お礼を申し上げます。ありがとうございました。
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by soleiljap | 2011-12-13 09:27 | *ご挨拶&お知らせ
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