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藤田嗣治展 @東京国立美術館
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五月も半ば過ぎたというのに青空は何処へ行ったのでしょう。

本日、『藤田嗣治展』に行く。平日で雨の日にもかかわらずかなりの人で、チケット売り場で20分、入り口で20分待たされるほどの混雑でした。

私が初めてFUJITAの絵に出会ったのは若干20代パリにいた頃です。 セーヌ河左岸の画廊が建ち並ぶ界隈を散策中に、ある画廊のウィンドウにかけられてあった一枚の絵。それはA3の紙を横にしたくらい(もっと小さかったかも)の紙に鉛筆で描かれた女性の顔でした。その流れるようなやわらかな線は一瞬で私を虜にしました。

 『この絵が欲しい』 絵をみて初めてそう思いました。勿論買えるはずがありません。サインを見て絵が藤田嗣治のものだと知り、それ以来私の中ではFUJITAは大好きな画家です。

もしかしてあの絵に逢えるかも、という思いも抱きながら今日は足を運んだのですが、入り口を入ると、もうそんな事などすっかり忘れていました。

そこはFUJITAの魅力溢れる色彩の世界。彼が学生時代に描いた自画像にはじまり、友人でもあったエコール・ド・パリを代表するモジリアニに影響を受けたという絵、圧巻だったのは、自らの境地を模索して到達した、細く流麗な線で描き出された“乳白色の肌”。 ため息が出るほど美しかったです。

“乳白色の肌”はFUJITAの代名詞、世界中の人が知っていますが、今回、もう一つ興味を持ったのが、“戦争画”です。

まずその大きさに圧倒され、それまでのパリで描いていた透明感のある絵とは裏腹に、2メートル(以上?)のキャンバスに茶色一色で緻密に描かれた殺戮風景は、リアルであるにもかかわらず凝視してみてしまうほどしなやかで、かつ力強靭な筆運び。
結果的に戦争画を描いたことで日本を去るはめになり、再びフランスへ戻ったFUJITAが描きだした絵は子どもの絵でした。 無垢な子どもの絵を描くことで、安住を望んだのでしょうか。
生涯を絵の仕事だけに捧げ、時代や社会に翻弄された画家が最後はランスの教会ノートル=ダム・ド・ラ・ぺ礼拝堂のフレスコ画を担当し、宗教画でその命の幕は閉じられました。
 
激動の時代、退廃のエコールド・パリにどっぷりと身を置き、世界的に有名になったFUJITA。国の命令で従軍画家となり、恐れるものが無くなったかのように思えた彼の筆致も終戦をむかえ、その評価は全く別のものとなった。逃げるように日本を出て、やがてフランス籍を取る。そして、日本に帰ることもなく、遠き異国の地で眠る画家FUJITAを思う時、時代に翻弄されながら、最後は宗教画を描けたことは、神から与えられた天恵のようにも感じられます。

今回の100点余りの絵は、激動の時代の中に生きた、FUJITAという画家の壮大な人生を物語っていました。世界のFUJITAをあます所なくしっかりとこの目に焼きつけてきました。冒頭に書いた女性の顔の絵はありませんでしたが、これだけの作品を一同に見ることができ幸せです。


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もし、これから行こうと思われてる方、行列になると思うので朝早く行かれるのをお勧めします。(最終日が近いので朝も混むかも) チケットも前売りで買われていった方がチケット売り場で並ぶ時間が省けます。
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by soleiljap | 2006-05-18 23:52 | ◇ 美 術 | Trackback
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