カテゴリ:■ Parisのお話( 9 )
ルームメイト <旅立ち 最終回>

中の方から、扉に向かって歩いてくる足音が聞こえた。
"Qui est-ce?" (キエス?) (どなた?)
優しく落ちついた声だった。これから一緒に住むかも知れない女性だと思った瞬間、緊張した。一緒に来てくれた日本人の女性が流暢なフランス語で対応した後、ドアがゆっくり開けられた。
黒髪のショート・ヘアーの小柄なアジア人女性が出てきた。自分と同じ位の目線で待っていたので、ちょっと目線を下に向けるような感じになった。相手の女性は、澄んだ大きな目で私と、もう一人の日本人の顔を交互に見ながら、笑顔で 「アントレ」(お入りください)と言って、私達は中に通された。

やわらかいシャンデリアの明かりが白い壁をクリーム色に染めている。思ったより薄暗い空間。天井の彫刻が陰影をつくりよりいっそうその存在を大きくしている。
大理石の暖炉、置かれた木製の家具は、どれもシックでとても心地いいと感じた。
彼女はインドネシアのジャカルタ出身で、パリに来て5年、パリ大学に通い政治学を学んでいる学生だった。 お互いのことを通訳を介し話した。静かでとてもクレーバーな感じの彼女は、大学の専門、母国のこと、将来について話をしながら、私にもたくさんの質問をしてきた。穏やかで優しい口調の中にもしっかりとした意思や芯の強さを感じた。あまりにもしっかりと将来のビジョンを語る同世代の彼女に私は正直圧倒されていた。
 
それから彼女は部屋を案内してくれた。リビングは15畳ほどあっただろうかか、暖炉の上のインドネシアの置物が優美な曲線の装飾の中で、違和感無く溶けこんでいたのが印象的だった。隣に寝室があった。緑色のカバーがかけられたシングル・ベッドが2個それぞれ壁に沿って置いてあった。3畳程のキッチン、お風呂・・・と順番に説明してくれた。
a0029889_2162235.jpg
彼女はその日のうちに一緒に住む事を決めてくれた。細かい取り決めや今後の予定を話し合った。

パッシーの家に行く日、皆にお礼とお別れを言い、初めてブランシュの駅からパッシーまで一人でメトロに乗った。
ブランシュの駅では、自動改札口に大きなスーツケースが通らず思案していると、男性が親切に中から持ち上げてくれようとしたのに、持っていかれると思い、思わずボストンを押さえ込んだ私。メトロの連絡口で方向がわからなくなり案内を見ながらキョロキョロしていると、親切に男性が声を掛けてくれたのに、やはり冷たくあしらった事。・・・いま思い出すたびに失礼なことをしたと思う。(日本の男性はあんなに親切じゃない。)

パッシーの家に着くと、彼女はバカンスでロンドンへ行っていたので、留守を頼まれたスウェーデン人の女性(以前のこの家のルームーメイト)が迎えてくれた。

その夜ベットに入ると、これからやらなければならない沢山の事をいろいろ考えているうち、中々寝れなかった。


(おわり)
                       * * * * *         
日々の何気ない生活の中で、あの時にことがふとよみがえってくる瞬間があります。ほんの一瞬、はいり込んで消えていく。脳裏に焼き付いて離れない風景もあれば、おそらく年月とともに少しずつ風化していくものもある。そう感じた時、焦燥感にも似た感覚で書き始めていました。
今、思い出しても本当にいろんな人に助けてもらったな、という思いでいっぱいです。あの時お世話になった人たちへの感謝の気持ちをこめてここに記します。

               駄文に最後まで付き合ってくださってありがとう。
                      この物語の最初へ
*****************************
*実際はもっと自分のことルームメイトについても詳しく書いていたのですが削りました。
*見取り図はだいたいの感じです。

omake
[PR]
by soleiljap | 2005-03-15 14:17 | ■ Parisのお話 | Trackback(1)
家探し <旅立ち6>

表通りから響いてくる足音で目が覚めた。
一瞬、ここは何処だろう、まだ覚睡しきれない頭は混乱していた。
昨夜は中々寝付けず、眠りについたのがおそらく深夜2時か3時頃だっただろう。
私は今、パリの新しい家で、初めての朝を迎えているのだ。
鉄の透かし模様の窓から、朝日が薄暗い部屋の絨毯にふんわりと光の模様を描いていた。

遠い昔の事の様に思えた。でもそれはほんの数日前。パリに着いてすぐ、友人のGFの家にお世話になった私は、翌日彼女と一緒に、住まいを探す為に、サンジェルマンにある大学の学生達の部屋*を訪ねた。
私達は朝、早めに家を出て歩いて行く事にした。歩くとすぐにオペラ座が現れた。セーヌ河を渡り、ノートルダム寺院の前を通りサンジェルマン迄、初夏の爽やかな日差しの中、私はこれまで味わった事のない最高の散歩をした。

目的の場所に着くと、小さくしきったコーナーに数人の学生がいた。壁に貼られたあらゆる情報の中から、アパートのパルタージェ(シェアーメイト)を求める紙を探した。初めての海外での生活、誰かと一緒に住む事がまず一番の方策と考えていたので、私達は1枚1枚丁寧にチェックを入れた。そして、パリの事情を知らぬ私の為に、彼女は最終的に2枚を選んでくれた。暫く二人で話し合った。そして最後に残ったメモの相手にすぐに電話を入れた。私たちはその人物と二日後に会う約束をした。

当日の朝、ジョンのGFの家に一人の日本人の女性がやってきた。今日の対面がより円滑に進むように、通訳として友人でもある彼女を呼んでくれたのだ。(地方の大学に留学中の彼女はちょうどバカンスでパリに旅行中) 私はこの女性と一緒に出かけた。

a0029889_13253422.jpga0029889_13254838.jpg私たちはメモの住所へ向った。地下鉄のPassy(パッシー)という駅で降り、歩いて5分ほどの所にアパルトマンはあった。
大きな頑丈な扉を押し開けると、数メートルの外廊下の向こうに、ガラス張りの扉があった。(写真左)
白と淡い水色の壁に囲まれたエントランスに入ると、まずエレベーターが目に飛びこんだ。


赤い絨毯がしかれた階段が、エレべーターを螺旋(らせん)に囲むようにゆるやかなカーブを描き、壁面のガラスにはアールヌーボー調の花の絵が描かれている。(写真右) 天井からぶら下げられたガラスの電球が、白い天井を波のように優しいクリーム色に染めていた。
彼女の部屋はレド・ショセ(日本でいう1階)にあった。
私達は入ってすぐの一番右手のドアベルを押した。

(つづく)

*****************************
※長かったので分けました。次回が最終回。
*サンジェルマンにあった「学生の部屋」の名前が思い出せず。
*画像は、モザイク(笑) 真中に立っていたのでカット出来ず。あしからず。
外廊下とエントランスにあるエレベーターと階段の所で撮る。冬に撮ったもの。(クリスマスか何かのパーティーに彼女と行く前だったと思う・・いつもはGパン)
[PR]
by soleiljap | 2005-03-14 12:03 | ■ Parisのお話 | Trackback
パリの夜は暮れぬ <旅立ち 5>

夕方、みんなでマルシェ(市場)へ夕食の買い出しに行く。長いホロつきのワゴンに、色鮮やかな野菜や果物たちが彩り良く並べられ、山積みに置かれていた。巨大なパプリカやナス、ズッキーニ、生鮮の所には業務用の大きなトマト缶に山盛りのムール貝・・日本ではすぐに手に入らない(当時)野菜や果物、魚介類が溢れていた。人々のエネルギーを感じる。初めてのマルシェ、見ているだけで楽しかった。帰りに、焼きたてのバゲットを買って帰る。

キッチンは3~4畳ほどの広さがあった、家の全体の広さからすると、狭いように感じる。冷蔵庫と小さな食器棚と小さなテーブルが置いてあった。ここで作って、食事は向かいのリビングでするそうだ。3人も入れば、もうギューギューだ。皆でさっき市場で買ってきた材料で夕食の準備に取りかかった。と言っても私は後ろの方で見ていたのだけれど。

流しは小さく白いタイル張りで、決して日本のような快適なキッチンではない。文化が違うと、道具も作り方も違うんだなと感心した。包丁はペティ・ナイフ(日本でいう果物ナイフ位の大きさ)でまな板を使わずに切っていた。
まな板は使わないの?と聞くと、ここにあるわよ。と言って、チーズを切るような小さくて、薄っぺらなトレーのようなものを見せてくれた。器用なのか、そうでないのかちょっと考えてしまった。料理もお鍋をたくさん使わず、仕上がりまで全て一つで出来上がってしまう。私の知っていたフランス料理のような複雑は行程はなく。作り方も簡単で質素な感じがした。勿論学生だということもあるだろう。

夕食が出来上がった。豚肉のソテー、マスタードソース(だったと思う)と、マッシュルームのサラダにチーズ、それにバゲット、学生にしては贅沢な料理だという。私の為に奮発したんだ、と言ってくれた。本当にありがたいと思った。パリで食べる初めての食事、.みんなの優しさと、ここに来れた事に感謝しながら食べた。

a0029889_1901173.jpg食後散歩に誘われた。本当はとても疲れていた。でも皆の暖かい気持ちが嬉しかったので、カメラを持ち皆と一緒に出かけた。
ムーランルージュの前を通る時少しドキドキした。大通りを右に行くと、モンマルトルの丘がある。多くの画家たちが好んで描いた場所である。ゴッホの家があり、さらに歩くとサクレクール寺院があった。こんなに早くここへ来れるなんて、すごく嬉しかった。
寺院の白壁が夕焼けに照らされ茜色に染まっていた。私達はドガの家の前を通り帰ってきた。

何もかもがさりげなく、目の前に現われる。眩暈を感じそうになる。あまりにも色んなことが起こりすぎて、いま起こっていることは全て夢かも知れない、と思った。
夢なら覚めないでほしい。

長い長い一日が終わろうとしていた。

(つづく)

****************************
*画像はその時撮影したものです。時刻はすでに夜の8時~9時頃だったと思います。
[PR]
by soleiljap | 2005-03-12 18:20 | ■ Parisのお話 | Trackback
ムーラン・ルージュの見える家 <旅立ち4>
a0029889_10115815.jpg
エレベーターは5階で止まった。廊下には濃い青の絨毯が敷かれ、窓のない廊下で天井からの頼りげない明かりが、回りをまるで音のない映画の世界のように映し出していた。絨毯の上をこするスーツケースの音が微かに響き、私は喉の奥に渇きを感じながら二人の後をついて行っていた。廊下の突き当たりに彼女達が借りている部屋があった。

重厚な扉を押し開けると、若いカップルが出迎えてくれた。この家をシェアーしているもう一人の女性で、男性はボーイフレンドらしい。
自己紹介のあと、ジョンのガールフレンドは広い廊下を歩きながら、部屋の説明をしてくれた。
玄関を入ってすぐ右にキッチン。左には大きなリビング。その奥に玄関で出迎えてくれた女性の部屋があった。所々磨り減った木の廊下は、歩くたびにギシっと音をたてた。
廊下を突き当たって右に折れると、右手にバスルームとトイレ、その隣に空港に迎えに来てくれた友人の部屋。廊下突き当たりの最後の部屋がジョンのGF(K)の部屋だ。10畳くらいの部屋にベッドと机と本棚、備え付けのクローゼットだけの殺風景な部屋だった。本だけが棚から溢れ、彼女の勤勉さをあらわしていた。ここで寝るように言われた。とりあえず荷物を置き、日本から買ってきたお土産を出して急いでリビングに戻った。

a0029889_10156100.jpg広いリビングには、大きな木製の丸テーブルと不揃いのアンティークの椅子、安物の布張りのソファーが置いてあった。目をひいたのが天井の彫刻、中央に少女だろうか、天使のような顔がアールヌーボー調の彫刻に縁取られ、その下に金メッキを施した大きな鏡と大理石の暖炉が備えつけられていた。この天使は暖炉と鏡の上で、気の遠くなるほど大昔から、移り行く歴史と、この家の住人たちを見つめてきたのだろう。

ただオーナーの趣味なのだろう、薄紫色に塗られた壁と薄ピンクの天井が妙に違和感を感じた。シンプルに白かベージュにすればいいのに・・・あまりいい趣味ではないな、と思った。
私達はミント・ティーを飲みながら談笑した。甘いミントが疲れた身体に浸透していった。本当に美味しいと思った。

a0029889_7155498.jpg空港に一緒に迎えに来てくれた友達が窓の所に立って手招きする。窓辺に行くと、下には私達が歩いてきた大通り(クリシー通り)が見えた。指差す方を見ると、駅の先になんと、あの赤い風車のムーラン・ルージュが見えるではないか。ロートレックが描いた絵でも有名なムーランルージュである。が、何よりも、夜のとばりがおりる頃、男たちがこぞって集まる場所。である。

突然あらわれたムーラン・ルージュに私はちょっと戸惑っていたかもしれない。

『えっ?あっ!ムーラン・ルージュ・・・こんな近くにあるんだ!!』 
これだけ言うのが精一杯だった。

(つづく)

******************************
*画像上・中は、その時リビングで撮ったもの。
*画像下も同じく手招きされた窓から向かいの建物を撮る。左ムーランルージュの方向も撮ったのですがよく撮れていませんでした。
[PR]
by soleiljap | 2005-03-11 10:27 | ■ Parisのお話 | Trackback
シャルル・ドゴール空港 <旅立ち3>

ドゴール空港到着。
期待と緊張は最高潮に達していた。パリに着いた喜びを噛みしめながら歩いた。迷子にならないように人の流れについて行く。モスクワ空港とは何もかもが違う。人も空気も建物も。
数時間前迄の心細さは不思議となかった。1歩1歩踏みしめながら、これから始まる未来だけを見ていた。

しかしイミュグレーションに近づくにつれ、ハヤル気持ちも、だんだんと不安へと変っていった。
ここを通らなければ出口へは行けない。問題は会話である。15、6時間のフライトの間、ほとんど会話らしい会話をしていない、地上に降りたって最初に喋る言葉が外国語なんて。どうせならここは英語じゃなくフランス語を喋りたい。
なるべく長い列の方に並ぶ。誰も頼る人がいないという孤独を初めて感じた。列は一人終わるごとに短くなっていく。私のフランス語は通じるだろうか。相手の言ってる事が聞き取れるだろうか。とうとう自分の番が来た。緊張のボルテージは最高潮に達していた。

予想は完全に外れていた。ラテン系の陽気で明るい人種は、日本からの小娘を見て、殆ど事務的な会話ですぐに通過させてくれた。私が学生ビザで来たから?初めてのフランスだったから?もうそんな事はどうでもいい。自由の身になった私は、荷物を取ると急いで出口に向かった。
ジョン(仮名)*のガールフレンドが迎えにきてくれているはずだ。私はバックから彼女の写真を取り出し、握りしめた。

出口を出ると、到着ロビーには大勢の出迎えの人がいた。彼女の顔は写真では見ているものの、皆同じ顔に見える。不安が押し寄せた。
(どうか私を見つけて!)
心の中で叫びながら、ふと奥を見ると、ローマ字が書かれた紙を持った女性が二人立っていた。近づくと、
(あっ、私の名前だ!)
思わず駆け寄り、名前を名乗り、日本にいる友人で、彼女のBFでもあるジョンの名前を言った。心の底から嬉しかった。身体から力が抜けていくように安心した。

彼女はパリの大学に通うギリシャ人で、もう一人は、アパートをシェアーしているという同じ大学の友人。私の住まいが見つかるまで、自分達の家に泊まるように言ってくれた。私達はフランス語混じりの英語で、ジョンの話や、日本やフランスについての話をした。

a0029889_1912123.jpgメトロを乗り継いで彼女達の住まいのある“Blanche”(ブランシュ)と言う駅に着いた。改札を出て大通りを右に歩いた。何もわからぬまま彼女達の後についていく。
街路樹の葉っぱが初夏の色をしていた。絵に描いたような石造りの建物が続く。パリの建物は、百年以上も前からそのままの姿で、今なお守り続けられている。街も人の考え方も素晴らしいと思った。あらためて芸術の国であることを実感する。

駅からまっすぐ4、5分歩いた所に彼女達のアパルトマンがあった。重厚な木の扉を押し開けると、その先にアールヌーボー調の鉄の柵で囲われたエレベーターがあった。フランス映画で観たのと同じものだ。むきだしのエレベーターには二つの扉がついていた。大きなスーツケースと、私たち3人が乗ると、ギシギシと音をたて揺れた。 手で外側、内側と一つずつ扉が閉められ、閉まる度に金属音が響く。透かしのアールヌーボー調の鉄の囲を残し、重厚な木の箱はガタンと鈍く揺れた後、間をおいてゆっくり動き出した。

(つづく)

****************************
※ジョン・・・私の住む故郷の大学で海洋学について研究しているフランスからの留学生。
出発直前まで私の渡欧の準備を色々と助けてくれた恩人です。

*画像は彼女のアパートのエレベーター。まさに乗りこむ前の写真です。(見づらくてすみません)
[PR]
by soleiljap | 2005-03-10 07:21 | ■ Parisのお話 | Trackback
モスクワ経由パリ行き <旅立ち2>

モスクワ空港到着。    
燃料補給の為の待機。乗客はいったん空港内で待つように言われた。
広大な空港は閑散として、ボソボソっと人の話す声と、イミュグレーションに向かう乗客の足音だけが響いていた。6月も半ばを過ぎてるというのに、空気はひんやりとして冷たかった。

a0029889_13203754.jpg税関でパスポートを渡す。ガラス張りの向こう側で、口を一文字に結んだロシア人は微動たりともしない。氷のように冷たい表情の中で、唯一眼球だけが、パスポートと私の顔を行ったり来たりしている。まるで映画のワンシーンだ。私のロシア人のイメージはここで完成された。

出るといくつかお土産屋がある。派手な色彩をはなったベストやスカーフを横目に、コーヒーショップで時間をつぶすことにする。愛想の悪いウェイトレスにコーヒーを頼む。この国は娯楽と言うものがあるのだろうか、ふとそんな気がした。記念にマッチを貰って出た。

航路はパリへ。
数時間の待機後、再び機内の人となる。モスクワで降りた人がいた為、空席がでた。窓側の旅なれたビジネスマンが何やら英語で話かけてきたかと思うとすかさず後ろの空いた席に移動し、席2,3個の肘のバーを起こし横になった。なるほど、と感心するが自分には出来ない。お陰で窓側を確保できた。
夜中、機内の明かりは消され、スチュワーデスが同じく空いた座席にブランケット2、3枚持って来て横になって寝てしまった。これには思わず笑ってしまった。

なかなか寝付けなかった。頭の中でヨーロッパ大陸を描きながら、あと数時間後の自分を想像した。窓の外は暗黒だった。

あれだけ反対された海外行きを押しきって、私は今一人でここにいる。自分は何をしに行こうとしているのか、これからどんな人生がまっているのだろうか・・・突然不安になった。
小さい頃から好奇心や冒険心が旺盛で、不自由なく過ごした田舎時代。広い世界が見たくて東京へ飛び出した学生時代。しかし卒業と同時に気持ちは海外へ向かっていた。留学資金は、両親が貯めてくれた結婚準備金を当てる事でお願いした。フランス語の猛特訓、大学に出す書類の作成、神戸の仏領事館に夜行列車で行ったビザの申請、故郷の飛行場で見送ってくれた家族や親戚、沢山の友人たち。全てが走馬灯のように駆け巡った。

いよいよパリ!高鳴る鼓動を抑え、窓からの景色をまるで憧れの映画俳優でもみるかのようにうっとりと、そして、一寸も見逃さないよう見つめる。
時間調整の為上空で待機する、とのアナウンスが流れた。
飛行機はパリの上空を、機体を斜めに数回旋回した。飛行機が小さいせいか、よく傾いた。
私が座っていた左翼側が下を向いた時、眼下に、凱旋門、シャンゼリーゼ通り、ブーローニュの森、エッフェル塔が目に飛び込んできた。日本で見ていたパリの絵が今、目の前に広がっている。なんて美しいのだろう。身体が小きざみに震えた。

(つづく)

*****************************
*画像はあの時のマッチです。昨年の引越しの時、偶然にも天袋から出てきました。(驚)
瓶の中に入れ、そのまま何年も忘れ去られていたのです。触るとヒンヤリ冷たく、あの時の肌寒いモスクワ空港が思い出されるようです。
[PR]
by soleiljap | 2005-03-08 13:34 | ■ Parisのお話 | Trackback
モスクワ経由パリ行き <旅立ち>

いつも誰かに守られ、いつも誰かに助けられていたように思う。
自分の翼で羽ばたきたいと思った。
―――今しかない。

a0029889_1116416.jpg
あの日、母は動揺していた。洗い物をしていた母の背中が、私の『話しをしたい』という意志さえ、かたくなに拒んでいた。父は押し黙ったまま新聞に目をやり私の顔など見ようともしなかった。
私はゆっくりと、その理由を話し始めた。


『日本人として、常に恥じない行動をとりなさい。』

最後に父に言われた言葉がいつまでも私の耳から離れなかった。


成田空港 北ウィング    
東京では、大学時代の親友の家に一泊する。友人との日本での最後の晩餐である。床についてからも、彼女と大学時代の話で盛り上がった。
翌日、一人で行けるから、と言ったにもかかわらず、成田まで車で送ってくれた。
あの時、彼女は傷心だった。後ろ髪引かれながら手を振ったのを今でも忘れない。 
両親の友人夫婦が、見送りに来てくれた。三人に見送られ、ゲートへ向かうエスカレーターに乗る。三人が見えなくなるまで手を振った。

成田空港 離陸
飛行機に乗り込むなり、何故こんな飛行機を予約したのだろう。と後悔した。
低い天井、狭い座席、ロシアの飛行機はまるで軍用機だ。回りの乗客を見渡す。観光客らしき人はいるものの、格安で海外に行こうという節約組みだ。私の両脇には、フランス人らしきビジネスマン、席につくなり原稿用紙を取り出し何やら書き出す。後ろの方には、ヴォーグから抜け出できたようなモデルが10人ほど旅慣れた様子で談笑している。
飛行機は、滑走路に向かい動き出した。いよいよ出発の瞬間である。15時間後の未知の世界を思い浮かべて、どうかこの飛行機が無事に目的地に着きますように。

(つづく)

************************
以前、若い頃の冒険をメモしておこうと書いたものです。全部ではないですが、かいつまんでお話したいと思います。

*画像はあの日私が乗った飛行機からのものです。左翼に反射する雲がとても眩しかったのを覚えています。
[PR]
by soleiljap | 2005-03-07 11:57 | ■ Parisのお話 | Trackback
フォンテーヌブローの蒼い空

パリのリオン駅から、列車で45分程南へ行った所にフォンテーヌブロー
という街があります。

パリに住むようになり5ヶ月、この街を訪れました。ナポレオンが好んで
滞在したフォンテーヌブロー城の周りには広大な森が広がっています。

11月のパリは、すでに寒くコートと手袋は手放せません。
友人と二人で落葉樹の森を、落ち葉の絨毯を踏みながら歩きました。

静寂の中で、聴こえてくるのは鳥の鳴き声、そして、私たちの落ち葉
を踏む音だけが、リズムを刻んで森に響いていました。

秋色のグラデーションの風景の中で見えた“蒼い空”
天に伸びる樹々の間から見えるあの時の空は、どこまでも高く、清く
透明でした。

帰り、カフェで日本の友人に絵葉書を書きました。
書き出しは・・・

フォンテーヌブローの空は、淋しいほどの蒼空。
[PR]
by soleiljap | 2004-11-20 08:29 | ■ Parisのお話 | Trackback(2)
天使と悪魔のすむ森 
 
 パリの滞在も一年が過ぎた夏の初め、友人と3人で、車でウィーンの旅へ
 でた。ドライバー2人という、かなりハードな旅である。パリを出た私たちは、
 フランスの田舎道を、急ぎ足でドイツに向った。

 フランスとドイツの国境を越え、旅の疲れを取るべく、ミュンヘンで一泊。
 疲れた身体に、美味しいビールとソーセージ、シュークルートは格別だ。
 ドイツ観光も出来ぬまま、翌朝早く、私たちはあわただしく旅仕度をして、
 次に目指すオーストリアのウィーンに向けて出発した。
 我々は昼も夜も走り続けた。国境を越え、無事にオーストリアに入った。
 しかし、それでもウイーンは遥か遠くだった。


 いくつ山を越えただろう。

 満点に輝く星は、夜道を照らし、星と月明かりだけが、私たちの車を導いて
 くれる。頼りげない地図も、何処までも続く闇の不安も手を伸ばせば届き
 そうな月が全てを忘れさせてくれた。

 突然、黒い雲が空を覆いはじめたかと思うと、何処からともなく真っ白な
 霧が現われた。またたく間にあたりは闇に包まれ、我々は車を止め、霧が
 晴れるのを待つことにした。

 暗闇から聴こえる不穏な風の音、木の葉が揺れる音、いくつもの風が
 重なり、徐々にエネルギーを蓄え、山肌を伝ってこちらへ迫ってくる。

 得体の知れない恐怖感。闇の中で一瞬、音が消えた。
 次の瞬間、風は闇を突き破り、一気に濃霧をのみこみ、そのまま上空へと
 連れ去った。千路に乱れた風は正気を取り戻し、月がまたあたりを照らしだす。

 夜空の星たちがまた輝きを取り戻した。ため息と静寂が戻った。
 まるで天使と悪魔が住んでいるかのように、森は静寂と暗黒を繰り返す。


 シューベルトの”アヴェ・マリア”と、モーツアルトの”レクイエム”が聴こえてきそうだ・・・

目に焼きついて離れない風景や、心に染み込んで忘れられない情景は、どれも時間とともに色あせる事はない。                        Sep./2003 soleil記



今朝、シューベルトのアヴェ・マリアを聴きながら、あの時の風景がよみがえってきました。
夕方からのホーム・パーティーの準備で動き回っています。パーティーのお料理は後日UPします。
[PR]
by soleiljap | 2004-07-20 11:41 | ■ Parisのお話 | Trackback